夜の闇に強烈な春の精気を放っていた梅の花は、写真を連日のように撮っていた頃がやはり盛りだったようで、先日昼間に通りかかったら、もう小さくしぼんだ花ばかりになっていた。
梅のある所から少し行った先には山桜も可憐に咲いているが、春爛漫というにはまだ寂しい光景で、散歩を楽しむこの辺りがピンクの花々でにぎわうのはまだ少し先のようだ。
「曇りの日は曇りの日の美しさがある」
というのは、学生時代の私がつぶやいた名言で(誰か先人の名言からインスピレーションを得たはずだ)、些細なことで憂鬱に傾きがちな感性に抗うように、当人としては懸命に曇りの日を楽しもうと努めていた。曇りだから、雨だからといちいち憂鬱になっていては人生大変である。
真っ青な空に浮かぶ雲の白さは最高だけれど、曇りの日の雲は銀色に優しげに光っていて、それもまた格別に美しい。曇りの日には曇りの日のポエムがある。若き日の私は今以上に詩人であった。ワントーン下がった景色の中で、人も物も植物たちもいつもと違う表情を見せ、晴れの日とは違う発見があるものなのだ。
そんな長年の訓練の賜物だろう。天気が晴れだろうが雨だろうが、台風がこようが、気分が左右されなくなり、ずいぶん頑丈(?)な精神になった私が今ここにいて、毎日を楽しんでいる。
3月某日、曇り空の下、地球の上の東京のあたりは白い花々で美しく彩られていた。