11月某日、早起きをし、快晴の空に誘われるように光が丘公園に紅葉狩りへ。ゴールデンイエローに輝く銀杏並木が見事で、カメラやスマホ片手に撮影する人の姿が目立ちました。
何年か前、たまたま仕事で光が丘公園に立ち寄った時、立派な練間大根が売られていたのをよく覚えています。仕事の途中なので大根を買うわけにも行かず、少し残念でした。
「今日もお野菜売ってるかな」と思いながら行ったところ、その日も銀杏並木の下で生協の人が大根や人参、白菜を販売していて大盛況の様子でした。そのままでも美味しい野菜に違いないのですが、紅葉の下で目にする野菜はいっそう艶々として魅力的に映ります。
「これは重くても買って帰ろう!」と思いながら、いや、荷物になるから紅葉を観た後にしようと思いなおし、帰りがけにまた寄ってみると、案の定、一番欲しかった人参は売り切れていました。あたりまえか、と思いながらやっぱり残念。
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光が丘公園はその名のとおり光があふれる公園で、東京も案外緑が豊かなものだと思われてくるスポットです。野球場やテニスコート、キャンプ場まである広大な敷地には、桜、ヒマラヤ杉、銀杏等背の高い樹木が立ち並び、行き交う人の足元には木漏れ日が踊ります。秋になると遠景には赤や黄色に色づいた山並が連なり、空気も澄んでいて清々しいことこの上ない。
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歴史好きな人にとっても、興味深い場所だと思います。
現在では余暇を楽しむ人で賑わう公園ですが、この地にはかつて、特攻隊の出撃基地ともなった成増飛行場や、日本初の私立の林間学校神田區武蔵健兒學園(花岡学院)があったといいます。戦後はGHQに接収されて米軍の家族住宅(グラントハイツ)として利用され、全面返還されて現在の地名になったのが1973年(昭和48年)、それから光が丘パークタウン(光が丘団地)と光が丘公園が造成されたとのこと。
この美しい場所から「祖国のため家族のため」と飛び立っていった尊い命たちがいたのは、そう遠い昔の話ではないのです。
[引用元] 光が丘公園 – Wikipedia
光が丘。戦中・戦後の経験もあって「光あふれる街に」という切なる想いから「光が丘」と命名されたのか。
あたりまえのことは実はあたりまえではない。今年、隣国で始まった戦争のことを思うにつけても、あたりまえにあるようなこの光景は実は恩寵であり、沢山の人の努力と献身によってもたらされていることに気づかされます。
この私だって決してノーストレスな日々ではないけれど、爆弾の降ってこない空の下で生きているだけめちゃくちゃ運がいいのです。
私にできることは微々たるものにちがいなく、けれども、何もしないより少しでもした方がずっとよいはずで、こうして写真を撮ったり文章を綴ることが、私の愛する美しい風景やそこで生きる人たちの生活を守り育てる力に繋がっていけばいいと思います。
そして、今度光が丘公園に行く時には、野菜を必ず買って帰ります!
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